永遠の生命「我」の存在を理解する

生命の個性とは

人間の生命は永遠に続くのでしょうか?
近年においては、人間は輪廻転生を繰り返していることが、一般的にも受け入れらてきました。しかし「個」の生命がどのように輪廻していくかにより、人生の捉え方は大きく変わってきます。

人間の生命の永続性を認めない科学の立場からすると、人間は肉体が死亡すると魂=心も消失し、無に帰るという考え方は、まだまだ根強いかもしれません。
また輪廻転生を認めない、創造神を信じる思想においては、人生は一回勝負との考え方になります。
これらの思想に対して共通に生まれる疑問は「不公平さ」です。人間は生まれながらに豊かな人も、そうでない人もいます。努力だけではどうにもならない課題もあまりに多い。この不公平さが、一回だけの人生との思想では、どうしても説明がつかないのです。

私たち人間は輪廻転生を繰り返しており、過去世に良い業を積んだか、悪い業を積んだかという、過去の結果によって今の自分があるのだという思想においては不公平さは無くなります。
しかし「過去世の業は乗り越えられるのか?」という答えによっては、生き方がまた変わってくるでしょう。「運命は変えられるか?」「未来は変えられるのか?」なども、生命の法則の捉え方によって、その答えが変わります。伝統的な輪廻思想においては「変えられない」とする結論のものも多かったと知るべきです。

また人間には、現実世界を生きる肉体と、目に見えない魂があるとも考えられています。
肉体が滅びた時、魂の存在はどうなるか?という死後の世界観も様々です。しかし、この世界観次第で、やはり人生の生き方が変わってくるという事には、もっと目を向けるべきだと思います。

近年のスピリチュアル思想においては、霊魂不滅説が多いように見受けられます。
私たちの魂は、死後も別の世界に存在し続けるとか、現実世界とは違う次元に存在するなどの考えです。確かにこの考え方なら、死に対する恐怖が無くなるかもしれません。しかし同時に、現実を軽視する思考にもなりがちです。実際に、肉体を軽視したり、現実社会の人間関係を軽視して、「魂の成長」ばかりを強調するスピリチュアルの話しもよく聞きます。

死と共に人生が終了してしまう思想においては、自分だけが良ければいいという刹那的な生き方になってしまったり、悪い事さえしなければ天国に行けるというような、消極的な生き方に陥ってしまうかもしれません。

私たちの現実においては、幸せの日々もあれば、苦しみの日々もあります。
例えば、苦しみに深く包まれた状況で眠りについた場合、夢の中でもなぜか苦しみを感じています。そして目が覚めたらまた「苦しい現実」が待っているという経験はしたことがあるでしょう。
人間の生死も同じです。苦しみながら死んだ人は、死後に宇宙生命に溶け込んでも安らぎは得られません。そして生まれ変わって新しい人生が始まったとしても、過去の苦しみという業は引き継いでしまうのです。

この思想に立った場合は、今の人生を精一杯全力で生きるのではないでしょうか?過去世から引き継いできた負の業を精算し、「今」を最高に幸せで生き続けることが、次の人生も幸福にできることに繋がるからです。この生命の連続性を自覚することで、「今」を大切に生きるようになります。出会った人を大切にします。「心」を大切にするでしょう。

人間は、どんな思想を持つかによって、生き方が変わります。だからこそ生命観の探究は大切だと思うのです。
目に見えない世界の全てを科学で証明することはできません。でも人類の歴史は、科学が不十分でもずっと続いてきたのです。今の時代よりずっと幸せだった時代、豊かな心を持っていた時代もきっとあったに違いありません。

生命の個性研究会は、西洋から東洋までの幅広い思想、科学や心理学など様々な分野を学問的に探究し、「生命」という根源的なテーマを研究考察して参ります。